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[3]危篤を告げられ、人生を問い直す
  • 2018年12月10日
  • 名前と誕生日をめぐる物語
[3]危篤を告げられ、人生を問い直す
お姑さんの希望で、結婚を機に、泉から絵美子に名前を変えたものの、かなり長い間、西野絵美子という名前に抵抗があって、なかなか受け入れられずにいました。



大分経ってから、名前のセミナ-に参加したことがあります。


自分の名前を絵画のようにイメ-ジするというワ-クをやったときに、西の野原(西方浄土?)にある絵のように美しい所で人々がくつろいでいるというイメ-ジが浮かんできて、結構いい名前なのかもしれないと思えました。



二度目の出産のあと、極度に産後の肥立ちが悪くて、起きていることも、食べることも困難な状態になり、長い闘病生活が続きました。



7年ほど、漢方や鍼灸、整体などの治療に明け暮れたあと、夫の転勤に伴って、転地療法のつもりで、思いきってインドネシアに引越をしました。



それから数ヶ月後、高熱が出たあと、手足を動かすことも、言葉を発することも出来なくなり、運ばれた病院で危篤を告げられました。



意識ははっきりしていたので、「会わせたい人に連絡するように医者に言われた」と、電話で実家の母に話している夫の声も聞こえていました。



「こんな所まで母一人で来れるんだろうか・・・でも、来ても手遅れ。」
私は、そう思っていました。


「助かりたい」とか「死ぬのは嫌」とかではなく、「死んで当然」という気持ちでした。



「子どもの頃からずっと自分を押し殺してきたからこうなったんだ。
親が望む娘、夫が望む妻を演じてきただけ。本当の私を生きてなかった。
だから、当然の結果・・・
でも、本当の私って何なんだろう・・・」


それまで考えたこともなかったそんな思いが、ぐるぐる頭の中を回っていました。


それから2日間は、何一つ考える余裕がなく、ただただ苦痛に耐えていました。



3日目の朝、何がどうなったのかわかりませんが、突然、しゃべったり動いたりが出来るようになっていました。


「こんなに何も出来ない役立たずの私が、なんで生きてるんだろう?
死んでもおかしくなかったのに、なんでしぶとく生きてるんだろう?


もしかしたら、『生かされてる』ってこういうこと?
こんな私でも、何かやるべきことがあるんだろうか?」

そんな思いがフッと浮かびました。



第4回はこちらです。↓

[4]数の神秘と出会い、名前の意味を知る

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