- [2]その土地の気候にあった使い勝手のいい家
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ジャカルタに引っ越すことになった経緯は、「命の川をつないで」の第2章にくわしく書いたので、そこから抜粋します。
『そうして治療に明け暮れる毎日を7年くらい過ごした頃、夫がインドネシアに転勤することになりました。当然、単身赴任だと思ったのですが、家族で行きたいと言われて、驚きました。こんな体で、知り合いもなく、慣れない場所で言葉も通じず、治療にも通えなくなってしまうのに・・・。でも、私一人で子どもの世話と家事をするのも無理だと悩みました。
この時初めて、オ-ラリ-ディングスク-ルの代表をされている方の個人セッションを受けに行きました。・・・中略・・・ 義母からも、その家は出た方がいいと以前から勧められていたこともあり、思い切って、家族で引っ越すことを決心しました。そして、ジャカルタに住むようになって4ヶ月後に、冒頭に書いた「死と再生」を体験したのです。』
この「死と再生」とは、高熱が続いたあと、病院に運ばれて危篤を告げられ、その後回復した一連の出来事を指しています。
ジャカルタに行ってしばらくは、ホテル住まいをしながら、借りる家を探しました。
通常は2年契約なので、1年でもOKの家というと、子どもたちが恐がるような薄気味悪い家ばかりでした。
ひょんなことから、警備のおじさんに紹介してもらった家は、日本人が敬遠する現地の村の中にありましたが、全体に明るい感じがして、子どもたちもすぐ気に入りました。
石の床で、ヒサシが深く、庭が三箇所にある平屋の家は、風が吹き抜け、陽の光が中まで入って来ない夏向きの造りでした。そのため、赤道直下でも、夜はク-ラ-なしで寝ることが出来ました。
また、広いのに、普段よく使う場所は動線が短くて済むような間取りで、使い勝手が良い家でした。
家の造りによって、住みやすさが大きく違うことを知った体験でした。
ジャカルタ滞在は1年延長になり、2年間になりました。その間、危篤以外にも目まぐるしくいろいろなことがあって、ストレスいっぱいだったと言えるかもしれません。ところが、東京に住んでいたときよりも、精神的には安定していたんです。
さらに、帰国の年に、まさかの妊娠をして、周囲の大反対の中悩みに悩んだ末、不思議な体験を経て、生む決心をしました。
東京では、以前いた建物の3階に住み、そこの一室で自宅出産しました。
そして、半年後、名古屋へ。
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[3]それぞれの空間によってエネルギーが違う
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